高校生の頃、私は長岡駅から上野駅への上越新幹線の車窓から見える景色を何度も何度も眺めながら、「いつかここを出て、東京で暮らすんだ」と心に誓っていました。
雪深い冬、どこまでも続く田んぼ、変わり映えのしない商店街。
当時の私には、それらすべてが「退屈」の象徴に見えていたのです。
あれから約10年。
今、私は東京で暮らしながらも、月に何度か新潟に足を向けています。
でも、それは単なる「帰省」ではありません。
「観光」でもない、新しい新潟との向き合い方を見つけたからです。
Contents
新潟を「暮らす視点」で見る意味
最近、地方移住への関心が若い世代で高まっています[1]。
東京圏在住の若者の約半数が地方暮らしに憧れを抱き、その理由として「スローライフへの魅力」や「都会疲れ」が挙げられています。
一方で、新潟県は26年連続で人口減少が続き、特に20代女性の流出が深刻な状況です[1]。
私がライターとして地方と都市を行き来する中で気づいたのは、地方を語る言葉の多くが「観光客目線」か「移住促進目線」に偏っているということでした。
でも実際に暮らしている人たちの日常には、パンフレットには載らない、もっと生々しくて面白いストーリーがたくさんあるんです。
私が見つけた3つの「暮らす視点」
- 日常の風景に宿る物語:朝の商店街、夕方のスーパー、雪かきの音
- 地域の人たちの等身大の声:なぜここで暮らすのか、何を大切にしているのか
- 変化しつつあるローカルの姿:新しいコミュニティやカルチャーの芽吹き
この記事では、フリーライターとして地方と都市を往復する私が見つけた、「観光じゃない新潟」の魅力をお伝えします。
これは、同じように地方出身で都市部で暮らすZ世代の皆さんに向けた、新しいローカルとの関わり方の提案でもあります。
「出たかった場所」から「気になる場所」へ
高校3年生の秋、大学受験の面接で「なぜ東京の大学を志望するのですか?」と聞かれた私は、迷わずこう答えました。
「新潟には何もないからです。東京には文化があって、面白い人たちがいて、私のやりたいことがある気がするんです」
今思えば、すごく失礼な発言でした。
でも当時の私にとって、それは偽らざる本心だったのです。
新潟で過ごした18年間は、確かに「退屈」の連続でした。
雪で電車が止まること、夜8時にはほとんどの店が閉まること、同じ顔ぶれとの同じような会話。
私は、その外側に広がる世界に憧れ続けていました。
東京での大学生活は刺激的でした。
様々な地域出身の友人たち、無数の文化的なイベント、選択肢の多さ。
でも同時に、違和感も芽生えました。
地方について語られる言葉が、どこか上から目線で、実際に暮らしている人たちの声が聞こえてこないことに気づいたのです。
大学時代に感じた「地方の語り手」の不在
- メディアの地方像:過疎化、高齢化、衰退といったネガティブな側面ばかり
- 移住促進の言葉:理想化された田舎暮らしの美談
- 当事者の声の欠如:実際にそこで暮らす同世代の等身大の声
卒業後、Web編集プロダクションで働き始めた私は、多くの地方関連のコンテンツを手がけました。
でも、どの記事も何かしっくりこない。
書いているのは東京在住のライター、取材対象は移住成功者や地域おこし協力隊。
普通に地方で暮らしている同世代の声が、圧倒的に少ないことに愕然としました。
再発見のきっかけ:note連載と読者からの反響
2022年、私は思い切ってnoteで「帰らなかったあの町へ」という連載を始めました。
東京で暮らしながら、時々新潟に戻る中で感じる複雑な感情を、正直に書き綴ったのです。
第1回目の記事のタイトルは「新潟を出た私が、新潟を語っていいのかわからない」でした。
故郷への複雑な感情、東京で暮らす罪悪感、でも新潟のことを書きたいという欲求。
その矛盾した気持ちを、そのまま文章にしました。
反響は予想以上でした。
同じように地方出身で都市部で暮らす読者から、たくさんのコメントが寄せられました。
「私も青森出身で東京在住です。故郷のことを書きたいけれど、出て行った人間が語る資格があるのか悩んでいました。でも相澤さんの記事を読んで、この複雑な気持ちも含めて伝えることに意味があるんだと思えました」
「Uターンを検討していますが、美化された地方移住の話ばかりで現実がわからずにいました。等身大の声がもっと聞きたいです」
この反響を受けて、私は確信しました。
地方と都市の間を行き来する私たちだからこそ語れることがあるのだと。
暮らしの中で見えた”観光じゃない”新潟の姿
連載を続ける中で、私は新潟での過ごし方を意識的に変えました。
観光地を回るのではなく、普通の平日の朝に商店街を歩いてみる。
地元のスーパーで買い物をして、そこで働く人たちと話してみる。
昔の同級生と会って、今どんな暮らしをしているのか聞いてみる。
そうして見えてきたのは、観光パンフレットには載らない、でもとても豊かな日常の風景でした。
朝7時の長岡駅前の商店街は、意外にも活気に満ちています。
早朝から開いている定食屋には、工場勤務の人たちや農家の方々が朝食を取りに来ています。
おばちゃんが常連客と交わす何気ない会話、湯気の立つ味噌汁の匂い、新聞を読む音。
東京の忙しない朝とは全く違う、でも確かに「生活」がそこにありました。
夕方5時過ぎの地元スーパーも発見の宝庫です。
仕事帰りの人たちが家族の夕食を買いに来る時間帯。
地場産の野菜コーナーでは、生産者の顔写真付きで新鮮な野菜が並んでいます。
レジで「今日はお疲れ様でした」と声をかけ合う光景は、東京のスーパーでは見られない温かさがありました。
地元のZ世代が語る「ここで暮らす理由」
私が最も興味深く感じたのは、地元に残った同世代の友人たちの話でした。
彼らは決して「仕方なく」地元にいるわけではありませんでした。
地元に残った友人たちの声:
- 美咲(26歳・看護師):「確かに選択肢は少ないかもしれない。でも、患者さんとの距離が近くて、地域の中で役に立っている実感がある。東京にいた頃は歯車の一つだった」
- 大輔(28歳・地方公務員):「通勤時間15分、家賃5万円で一軒家。子どもができたとき、両親に頼れる安心感。東京の友人の話を聞くと、こっちの方が豊かかもと思う」
- 恵(25歳・カフェ経営):「新潟だからこそできることがある。地場産の食材、地域のつながり、古民家の活用。東京では真似できない価値を作りたい」
彼らの話を聞いていて気づいたのは、新潟で暮らす若い世代は、東京的な価値観とは異なる豊かさを見つけているということでした。
最新データから見る新潟の現状
新潟県の現状を数字で見ると、確かに厳しい面もあります:
項目 | データ | 特徴 |
---|---|---|
人口減少 | 26年連続減少、2024年は前年比1.23%減[1] | 全国でも最悪クラスのペース |
出生数 | 2024年は9,941人、初の1万人割れ[1] | 少子化の加速 |
若者流出 | 20代転出超過が全体の約8割[1] | 特に女性の流出が深刻 |
大学進学 | 県外進学者の8割が県外就職[1] | 人材の県外流出 |
しかし、こうした数字だけでは見えない部分もあります。
地元で暮らし続ける人たちには、統計には現れない価値や充実感があるのです。
変わりつつある”ローカルのかたち”
新潟を定期的に訪れるようになって3年目、私は地域に新しい動きが生まれていることに気づきました。
それは、従来の「地方」のイメージとは少し違う、現代的で多様性に富んだコミュニティの芽吹きでした。
上越市の林富永邸を活用した「CAFE HAYASHI」を初めて訪れたとき、私は新潟のイメージが一変しました[1]。
明治時代の旅館をドイツ出身の建築家がリノベーションしたこの空間では、地域の発酵食材を活かした創作料理が楽しめます。
上越市指定文化財という歴史ある建物で、現代的なセンスと地域の食文化が見事に融合していたのです。
店主の里香さんは東京出身のIターン移住者でした。
「新潟の発酵文化の豊かさに魅力を感じて移住しました。古い建物を活かしながら、新しい価値を創造したいんです」と話す彼女の目は輝いていました。
新しいアートスペースと古民家カフェの台頭
新潟県内で注目されている新しいスポット:
- 十日町・松代エリア
- 山ノ家カフェ&ドミトリー:大地の芸術祭の拠点として国内外から注目
- カールベンクス古民家レストラン「澁い」:地場産食材を活かしたフレンチ
- 南魚沼エリア
- 南魚沼百年古民家「六つ季の家」:神主さんが運営する週末限定カフェ
- イエローハウス:集落内の野菜を使った地産地消カフェ
これらの施設に共通するのは、古いものを大切にしながら、現代的な感性を取り入れていることです。 単なる懐古趣味ではなく、歴史と現代が対話する新しい文化空間を作り出しています。
こうした新潟のハイエンドなライフスタイルへの関心は、地元の若い世代だけでなく、都市部から注目を集める人たちの間でも高まっています。
十日町の山ノ家カフェで出会った20代のスタッフは、「ここは都市と地方の境界が曖昧になる場所」と表現していました。
実際、大地の芸術祭の期間中には、東京や海外からのアーティストと地元の人たちが自然に交流していて、従来の「地方」のイメージとは異なる国際性と開放性がありました。
LGBTQ+や多様性を受け止めるコミュニティの芽
さらに興味深いのは、新潟でも性的マイノリティへの理解と支援が広がっていることです[1]。
新潟市は2024年からパートナーシップ宣誓制度を導入し、アライ(支援者)の育成にも力を入れています。
上越市も同様の制度を設け、多様性を認め合うまちづくりを進めています。
私が取材した地元のLGBTQ+当事者の方は、こんなことを話してくれました。
「確かに東京に比べれば理解はまだまだかもしれません。でも、だからこそ一人ひとりの関係性が深い。カミングアウトしたとき、思った以上に温かく受け入れてくれる人が多かった」
この言葉が印象的だったのは、地方の人間関係の密さが、時として多様性を受け入れる土壌になるという可能性を示していたからです。
Z世代の新しい地方観
全国的な調査でも、Z世代の地方に対する意識は変化しています[1]:
東京圏在住若者の地方移住願望(2024年調査)
- 45.6%が「地方暮らしに憧れる」
- 理由TOP3:
- スローライフに魅力(49.0%)
- 都会の喧騒から離れたい(32.9%)
- 心機一転できそう(29.5%)
一方で課題も明確です:
- 交通の便(61.6%)
- 働き先の有無(37.2%)
- 金銭面(26.7%)
これらの数字を見ると、Z世代は地方に理想を抱きつつも、現実的な課題を冷静に見つめていることがわかります。
都会との往復から生まれる”ハイブリッドな暮らし”
私の友人の中には、完全に地方移住するのではなく、東京と新潟を行き来する「デュアルライフ」を実践している人もいます。
フリーランスのWebデザイナーをしている友人の翔太は、月の半分を新潟で過ごしています。
「東京のクライアントとの仕事はリモートでできるし、新潟の方が集中できる。生活費も安いから、東京だけで暮らすより余裕ができた」
彼のライフスタイルは、まさに現代的な地方との関わり方です。
都市の機会と地方の豊かさ、両方を享受する新しいスタイルと言えるでしょう。
書き手としてのまなざしと葛藤
こうして新潟との関わりを深めていく中で、私は書き手としての大きな葛藤にも直面しました。
「私の視点」だけで地方を語ることの危うさです。
note連載が注目を集めるにつれ、「新潟の代弁者」のような扱いを受けることが増えました。
でも、私は新潟を出た人間です。
現在も東京で暮らしています。
本当に新潟のことを語る資格があるのでしょうか?
「私の視点」だけで語る危うさと向き合う
ある日、地元の友人から厳しい指摘を受けました。
「相澤の書く新潟って、結局は東京から見た新潟でしょ?実際に毎日ここで暮らしている人間の感覚とは違うよ」
その言葉は私の胸に深く刺さりました。
確かに、私の視点は常に「外部者」のものです。
新潟の日常を知っているつもりでも、実際は「お客さん」として見ているに過ぎないのかもしれません。
しかし、同時にこうも思いました。
だからこそ私が書けることもあるのではないか?
聞き出しの中で生まれる、他者のストーリーをどう編むか
それ以降、私は記事を書く際に意識的に多様な視点を取り入れるようになりました。
一つの記事につき、最低でも3人以上の地元の人にインタビューを行い、私の印象だけでなく、彼らの生の声を丁寧に拾い上げるようにしています。
私が心がけている取材のアプローチ:
- 共感ベースの聞き出し:相手の感情に寄り添いながら話を聞く
- 複数視点の収集:年代や立場の異なる人たちから話を聞く
- 自分の印象との差異の検証:私が感じたことと地元の人の感覚のズレを確認
- 等身大の声の重視:美談ではなく、日常の中のリアルな感情を大切にする
例えば、先ほど紹介した古民家カフェの記事を書く際も、店主だけでなく、常連客、近隣住民、同業者など、様々な立場の人に話を聞きました。
そうすることで、私一人では見えなかった多角的な視点が記事に反映されます。
地方を書く責任と、共感を軸にした発信のあり方
地方について書くということは、大きな責任を伴います。
特に、メディアの影響力を考えると、私の書いた記事が地域のイメージを左右する可能性もあるのです。
だからこそ、私は「共感」を軸にした発信を心がけています。
地方の良い面ばかりを強調する美化でもなく、問題点ばかりに焦点を当てる悲観論でもなく、そこで暮らす人たちの等身大の想いに寄り添うことを大切にしています。
最近、私の記事を読んで新潟を訪れたという読者から連絡をもらいました。
「記事で紹介されていたカフェに行ってきました。店主さんとの会話がとても楽しくて、新潟の印象が変わりました」
そういう反応をもらうとき、私は書き手としてのやりがいを感じます。
一人ひとりの等身大のストーリーが、地域への新しい関心や理解を生み出す。
これこそが、私が目指している発信のかたちです。
まとめ
「暮らす視点」がローカルをもっと面白くする
3年間にわたって新潟と向き合い続けてきた中で、私が確信したことがあります。
それは、「観光」でも「移住促進」でもない、第三の視点が地方をもっと豊かに描き出せるということです。
観光的な視点は確かに魅力的ですが、一過性です。
移住促進の視点は希望に満ちていますが、時として現実とかけ離れてしまいます。
でも、「暮らす視点」は違います。
そこには、日々の小さな喜びや困りごと、人と人とのつながり、変化していく街の姿など、継続的で立体的な地域の姿があります。
朝の商店街で交わされる何気ない挨拶。
夕方のスーパーで選ぶ地場産の野菜。
古民家カフェで生まれる新しい交流。
多様性を受け入れ始めるコミュニティ。
これらはすべて、「暮らす視点」だからこそ見えてくる新潟の姿です。
新潟を”出た人”だからこそ見える風景
私は今でも、高校時代の自分の判断が間違っていたとは思いません。
東京で得た経験や視野は、確実に私を成長させてくれました。
でも同時に、一度外に出たからこそ見えてくる故郷の価値もあることを実感しています。
新潟にずっといた人には当たり前すぎて気づかないこと。
東京にずっといる人には想像できないこと。
その間に立つ私だからこそ、伝えられることがあるのかもしれません。
地方と都市を往復する意味
現在、東京圏在住の若者の半数近くが地方暮らしに憧れを抱いています[1]。
でも、実際の移住には高いハードルがあるのも事実です。
そんな時代だからこそ、完全移住でもない、観光でもない、新しい地方との関わり方が求められているのではないでしょうか。
- デュアルライフやワーケーション
- 定期的な帰省や長期滞在
- 地方のプロジェクトへの参加
- オンラインでの地域コミュニティへの参加
こうした多様な関わり方が、これからの時代のスタンダードになっていくのかもしれません。
地方と都市、そのあいだを行き来する書き手としての未来
私は今後も、新潟と東京を行き来しながら記事を書き続けていくつもりです。
それは単なる個人的な活動ではなく、同じように地方と都市の間で揺れる人たちの声を代弁するという使命感を持っています。
Z世代の私たちは、これまでの世代とは異なる価値観を持っています。
多様性を重視し、個人の等身大の目標を大切にし、固定的な生き方にとらわれない。
そんな私たちだからこそ、地方と都市の新しい関係性を築いていけるのではないでしょうか。
新潟は確かに人口減少という大きな課題を抱えています。
でも、そこで暮らす人たちの豊かさや、新しく生まれているコミュニティの可能性を見ていると、数字では測れない価値がたくさんあることを実感します。
これからも私は、「観光じゃない新潟」を書き続けます。
そして、同じように故郷との複雑な関係を抱える人たちと、新しいローカルとの向き合い方を模索していきたいと思っています。
地方と都市、そのどちらも大切にしながら。
一人ひとりの等身大のストーリーを大切にしながら。
私たちらしい、新しいローカルの描き方を見つけていきたいのです。
参考文献
[1] 新潟県統計課「新潟県の人口移動調査結果報告」[2] 認定NPO法人ふるさと回帰支援センター「【2024年】移住希望地ランキング公開」
[3] 新潟市男女共同参画課「性的マイノリティ(LGBT)支援事業」
最終更新日 2025年6月20日 by mindmj